無情

  •   11, 2012 12:02
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リオのRocinhaスラムに住んでた時の友達というか「知り合い」が、さっき亡くなったと友達から連絡があった。

一日中麻薬漬けで、俺や友達の家の前で一人で48時間も叫んでたやつ。

ドアを開けるとドアから10cmのところでビール片手に狂っていた。ドアを開けるとまず彼の後頭部が見えるのである。
ポケットにはいつもクラッキ(クラック)の小袋がはいってて、日銭を稼いではすぐにビールと薬を持って俺の小屋の前に現れた。


迷惑だったけど、やさしいみんな苦笑いしながらも彼に一声掛けていた。
タイル張りの名人で、俺が住んでいたうちの内装替えは彼にやってもらってた。
家主のRposaは俺の親友であり、カポエイラの先輩。やさしいRaposaはどんなに裏切られても、
ブツブツ言いながら、やっぱり彼に仕事をあげていた。他の職人の方がまともにやるのに。

みんな彼を気にかけてあげていた。Raposaのお母さんのDona Rai(ドナ・ハイ)が雨の中で麻薬と酒で狂って叫び続けている彼に、毛布をかけてあげていたのを覚えている。

そのときだけ彼は狂うのを止めて「ありがとう。奥さん。どうもありがとう。」
そしてすぐに叫び始める。

今でも覚えてる。ある日、あまりにうるさかったので、俺は家の屋根に上った。

我が家の玄関の前で叫び続ける彼を屋根の上から見下ろしていると、しばらくして彼は叫ぶのをやめたと思うと、
周りをきょろきょろと見て、小さな女の子が通り過ぎるのを待った後、コップを地面に置いた。
ポケットから小さなビニール袋を取り出した。
5レアル札を横に一度折り、その溝の上に粉を置いたと思うと、筒状に丸めた2レアル札を鼻にあてがい、
次の瞬間全てを鼻から吸い込んだ。

(映画と同じだ。)

これでもかというくらい胸と頭を後ろに反り、眼球は天をというか俺の目を見ていた。
その目の瞳孔が開いていった。でも彼は俺にすら気づいていなかった。



マラニャオン出身でサッカーが上手だった。好きなチームはSampaio CorrêaではなくMotoclubeだった。
もう家族にも見放されて、ここまで落ちてしまった彼には、ときどきそのコップにビールを注いであげるくらいしか自分達には出来なかった。

友達ではなかったけれど、その死を聞いて平常心でいるには親し過ぎた。
彼の叫び声を聞きながら毎晩眠りについたんだ。

彼と笑顔でマラニャオンの話やサッカーの話をしたのを覚えている。
俺のことをいつも「sushi, sashimi」と呼んでいた。



今日、クスリをこっそり買っている時にBOPE特殊部隊がきて問答無用で撃たれたそうだ。
彼は人から金を預かって、薬を買いに行く代わりにそのおこぼれをもらっていた。
今日も同じようにboca(ボカ=薬を買う所のこと)で買っていたところ、軍警にやられた。
彼はすでにラリっていたので、とっさに逃げることができずに撃たれた。

なんのために生まれて、誰のために生きたんだろう。
亡くなった時よりも今日まで生きてきた間の方が辛かったと思う。



お休みパントゥヒーリャ。
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