ブラジル日記第一弾◆レポート「バスに乗ろう!~あなたの街を知る~ 」
- 26, 2005 14:55
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5月 B1レポート
25期 鈴木湖太郎
[場所:ブラジル、リオ]
日本ブラジル交流協会の今月の課題のBレポートの課題をやりに、
Barra da Tijuca(バハ・ダ・チジューカ。きれいな海岸線が延びる地域。お金持ちの住むところ)へ行った。
いま住んでいる東地区のCateteから西に向かうと南米最大のスラム街Rocinhaがある。
そこを過ぎて更に行ったところにBarraはある。
観光地のCopacabanaとはまた違った雰囲気の海岸で、個人的にはこっちの方が好きだ。
行きも帰りも色々とあって疲れた。自炊をする気力は今日は無い。
詳しくはB1レポートを。
================================================================
レポート「バスに乗ろう!~あなたの街を知る~ 」
準備: 職場の人間に目的地の治安について聞く。RIO市のバス路線図を買って、目的地までになるべく
沢山のものを見れるようなルートを探す。
なぜ、この路線を選んだか: Barra da Tijucaという高級住宅街に行くまでに、
南米最大のスラム街も見れるので。その路線に乗れば、ブラジルの縮図が見れると思ったため。
5月26日(木)晴れ
行き: 午後3時、Praia do Flamengoのバス停で、 179番{CENTRAL / ALVORADA(circular)}に乗車
このバスはCentral(セントラル。有名な映画の題名にもなった場所。リオの交通の中心。)から
Barra da Tijucaまでの間を循環するバスだ。
自分は途中でFavela da Rocinhaが見れるように、バスの右側の後ろから4番目の席に座った。
その後ろの席は一段高くなっていて景色は見やすいが、逆にバスの外側のファベーラの人間からも
見られやすいので、一度座ったけれど、その一つ前のこの席に移った。
服はシンプルに、荷物はビニール袋一つ。
金はパンツにR$50、ジーパンのポケットにR$30、citibankのカードは持たない。
バスの乗客は、自分の前に白髪の黒人のおじいさん、後ろにはやや褐色系のおばさん、左前にはやや褐色系の
20歳くらいの女の人(香水がきつい)、左後ろの一段高くなっている席には、白人の20歳くらいの
かわいい女の子、その後ろにはその男友達(白人)。
どういう訳かこのバスはとても静かだ。話している人は殆どいない。みんな一人で乗っている。
途中までは、いつもカポエラでHumaitáへ行くのと同じ道だ。ここら辺はまだ、普通の住宅街だ。
Jardim Botânico(リオの巨大な植物園)の前を通った。
ここが本当にリオデジャネイロか!?
と思うくらいに、突如広がるジャングル。映画でし見たことが無いような高い木々が、規則的に並んでいて、
衝撃的な絵だった。そんなジャングルの間からキリスト(コルコバードの丘)がちらちら見える。
知らないうちにキリストの像が近づいていた。
そのまま、バスは乗客を乗せて満席になり、長い、岩の表面むき出しのトンネルや竹やぶの中を
猛スピードで抜けていく。未だに、バスの中は静かだ。みんなこれから通るファベーラの事を
考えているのだろうか?
長いトンネルを抜けた。それと同時に今まで聞いたことが無いような悲しげなピアノのメロディーが
聞こえてきた。とてもゆっくりで、指一本でひいているようなメロディーだったけど、
同時に目に飛び込んできたカラフルだけど薄汚い家々の映像と合わさって、何とも言えない気持ちになった。
Favela da Rocinhaだ。


鳥肌が立った。
思わず、ため息混じりに「なんだこりゃー」と言ってしまった。
2年前の夜にこの中でカポエラの練習をした事があったけれど、今改めて見るとやはりあの時とは違った
衝撃を受けた。
屋台がいっぱい出ていて、綺麗な教会が一つあった。そして反対側には高級住宅街が広がっている。
大きなマンションがたくさん立ち並んでいる。日本ではありえない画だ。
ファベーラの住人はそのマンションを見て何を思うのだろう。また、そのマンションの住人はファベーラを見て何を思うのだろう。
バスの中の人達は、当たり前だけれど、表情一つ変えなかった。
バスはそのままPraia do São Conrado(サォン・コンハード海岸沿いの高級住宅街。Rocinhaの真向かい)沿いに
走った。
左は水平線、右は岩(丘の斜面)まるで爺ちゃん婆ちゃんのいる岩手に帰ってきたみたいだった。
そしてまたトンネルに入った。抜けると、目の前に湖が広がった。浮島があってそこには家が立っている。
2人のおじさんが湖の中を歩いている。遠くでは網で漁をしている人がいる。
Barra da Tijucaに着いたのだ。

(Barraにある不思議な湖)
これが同じリオ市だとは思えない。他の乗客がみんな降りたので自分も空き地のような所にあるバス停で降りた。
降りた人達は、そのバス停でまた別のバスを待ち始めた。最後まで静かなバスだった。
いすに座ってこっそりと地図を見ていると、その近くのファベーラの住人っぽい少年(12歳くらい)が
遠くから2人歩いて来た。12歳の目つきではなかった。近づいてきたので、自分は立ち上がって、歩道橋に登った。
後ろで少年の一人が"Caramba.~~~~!と言っていた。
この地区のことは何も知らないので、地図を頼りに海がある南へ歩いてみた。
途中には高級住宅街がある。どの家も金持ちの住んでいそうな感じだった。
ある家からはギターを鳴らしながら歌う声が聞こえてきた。外には庭で娘と遊ぶ父親、犬の散歩をする上品な
おばあさん、などだ。
ファベーラとここではまるで世界が違う。
海に着くとquiosque(街角やビーチにある売店。キヨスク)は殆ど閉まっていて、海岸で遊ぶ人も殆ど
いなかった。
店員の態度が最高に悪いquiosqueでビールを買って、じろじろ見られながらも、そこでバスでの出来事を
メモにまとめた。海沿いを歩いていると、一人の少年が波打ち際で立ち止まって何かをコソコソとしていた。
少し近づいてみると、maconha(マコーニャ=まりふぁな)の匂いがした。あのコソコソ具合からして、
覚えたてだろう。変に巻き添えを食らいたくないので、距離を置いて歩いた。
5時半ぐらいに帰りのバスを探し始めた。海岸沿いには一向にバス停が見つからず、またバスも殆ど走っていない。
たまに来るバスも、行き先を見るとまったく知らない地名で、不気味だ。
あたりはもう暗い。それでもやっとバス停を見つけた。木の陰にバス停の看板が隠れていた。奇跡的に見つけた。
向かい側には中華レストランがあって、何故か日本料理もあると書いてあった。やめてほしい。
30分ほど待つと、遂に知っている名前のバスが来た。
"233 RODOVIÁRIA / BARRA DA TIJUCA(cicular)。 "
帰り: 午後6時、Praia da Barra da Tijucaのバス停で、 233番{RODOVI?RIA / BARRA DA TIJUCA (circular)}に乗車
Rodoviária(バスターミナル)に行くやつだから大丈夫だろうと思って乗っていたら、
このバスは何故か途中で山に登り始めた。かなりびっくりした。すぐ下るかと思うと、数十分昇り続けた。
「Rodoviáriaってひょっとしてもう一つあるの?このままこの真っ暗な山の中でおろされるの!?
....まぁ、死にゃぁしねぇか!tudo bem tudo bem.」
などと思っていると、バスの中に実は中国人らしき人が2人いることに気付く。変な安心感を抱いてしまった。
一人は50歳くらいのおばさんで、山の中で降りて行った。どういう暮らしをしているのだろう?
それにしても、なんでこんな暗い山の中でも普通のスーツを着ている人達が次々と乗ってくるんだろう?
会社でもあるのだろうか?レストランだろうか?バスはそのまま山の中を走り続けて、遂に人気(ひとけ)のあるところへ出た、Usina(リオ市北部の山に近い地区)だった。
北に上ってから東に行くのがこのバスのルートらしい。一気に気が楽になった。
最初の一ヶ月間自分が住んでいたTijucaのあたりで、もう一人の中国人らしき男の子が降りていった。
降りる前にその隣のブラジル人のおばさんと喋って、最後に"Obrigado"と言っていた。
事情は知らないけれど、Tijucaには中国人が劇的に増えたと言うことを聞いていたので、それは納得がいった。
バスはRodoviária(長距離バスターミナル)に着いた。そこでR$1.90の、やや高めのバスに乗った。
乗り換え: 午後7時半、Rodoviariaで、127番{RODOVI?RIA / COPACABANA(ida)}に乗車。
バスの中には、またまた中国人らしき人が2人いた。
一人は引受人のHenriqueさんそっくりの青年。もう一人は、杖を持った坊主頭の太ったおじいさん。
その人は自分のまん前に座っていた。もう一人はブラジル人のおばあさん。
このバスも凄く静かだった。Rodoviáriaを出発したあたりで、警察官2人が出口側のドアから乗ってきた。
少しして、バスを降りていった。やはり、治安を守っていることになっている警察官は、バスの料金も
払わなくて良いらしい。
休日・祝日のCentroは本当に人がいない。街もバスも静かで、変な感じだった。
帰りにカンデラリア教会をバスから見た。ここで沢山のストリートチルドレンが「天使の軍団」と証する
グループに射殺されたのだ。犯人の招待は結局警察官だった。
そのあと、家まで5分というところのGlória地区で同じT-シャツを着た人達が沢山歩いているのを見た。
ちょっとした渋滞になっていた。遠くでは第二次世界大戦記念碑があるところの特設ステージで、
女の人が歌っていた。
そういえば今日はキリスト教徒の祭日だ。この国では祭りや、デモ行進、などで渋滞が起こることが良く
あるようだ。
良くも悪くも、規制が甘いのだろう。
⇒ 都内各地でカポエイラクラスをしております。詳しくはこちら。
25期 鈴木湖太郎
[場所:ブラジル、リオ]
日本ブラジル交流協会の今月の課題のBレポートの課題をやりに、
Barra da Tijuca(バハ・ダ・チジューカ。きれいな海岸線が延びる地域。お金持ちの住むところ)へ行った。
いま住んでいる東地区のCateteから西に向かうと南米最大のスラム街Rocinhaがある。
そこを過ぎて更に行ったところにBarraはある。
観光地のCopacabanaとはまた違った雰囲気の海岸で、個人的にはこっちの方が好きだ。
行きも帰りも色々とあって疲れた。自炊をする気力は今日は無い。
詳しくはB1レポートを。
================================================================
レポート「バスに乗ろう!~あなたの街を知る~ 」
準備: 職場の人間に目的地の治安について聞く。RIO市のバス路線図を買って、目的地までになるべく
沢山のものを見れるようなルートを探す。
なぜ、この路線を選んだか: Barra da Tijucaという高級住宅街に行くまでに、
南米最大のスラム街も見れるので。その路線に乗れば、ブラジルの縮図が見れると思ったため。
5月26日(木)晴れ
行き: 午後3時、Praia do Flamengoのバス停で、 179番{CENTRAL / ALVORADA(circular)}に乗車
このバスはCentral(セントラル。有名な映画の題名にもなった場所。リオの交通の中心。)から
Barra da Tijucaまでの間を循環するバスだ。
自分は途中でFavela da Rocinhaが見れるように、バスの右側の後ろから4番目の席に座った。
その後ろの席は一段高くなっていて景色は見やすいが、逆にバスの外側のファベーラの人間からも
見られやすいので、一度座ったけれど、その一つ前のこの席に移った。
服はシンプルに、荷物はビニール袋一つ。
金はパンツにR$50、ジーパンのポケットにR$30、citibankのカードは持たない。
バスの乗客は、自分の前に白髪の黒人のおじいさん、後ろにはやや褐色系のおばさん、左前にはやや褐色系の
20歳くらいの女の人(香水がきつい)、左後ろの一段高くなっている席には、白人の20歳くらいの
かわいい女の子、その後ろにはその男友達(白人)。
どういう訳かこのバスはとても静かだ。話している人は殆どいない。みんな一人で乗っている。
途中までは、いつもカポエラでHumaitáへ行くのと同じ道だ。ここら辺はまだ、普通の住宅街だ。
Jardim Botânico(リオの巨大な植物園)の前を通った。
ここが本当にリオデジャネイロか!?
と思うくらいに、突如広がるジャングル。映画でし見たことが無いような高い木々が、規則的に並んでいて、
衝撃的な絵だった。そんなジャングルの間からキリスト(コルコバードの丘)がちらちら見える。
知らないうちにキリストの像が近づいていた。
そのまま、バスは乗客を乗せて満席になり、長い、岩の表面むき出しのトンネルや竹やぶの中を
猛スピードで抜けていく。未だに、バスの中は静かだ。みんなこれから通るファベーラの事を
考えているのだろうか?
長いトンネルを抜けた。それと同時に今まで聞いたことが無いような悲しげなピアノのメロディーが
聞こえてきた。とてもゆっくりで、指一本でひいているようなメロディーだったけど、
同時に目に飛び込んできたカラフルだけど薄汚い家々の映像と合わさって、何とも言えない気持ちになった。
Favela da Rocinhaだ。


鳥肌が立った。
思わず、ため息混じりに「なんだこりゃー」と言ってしまった。
2年前の夜にこの中でカポエラの練習をした事があったけれど、今改めて見るとやはりあの時とは違った
衝撃を受けた。
屋台がいっぱい出ていて、綺麗な教会が一つあった。そして反対側には高級住宅街が広がっている。
大きなマンションがたくさん立ち並んでいる。日本ではありえない画だ。
ファベーラの住人はそのマンションを見て何を思うのだろう。また、そのマンションの住人はファベーラを見て何を思うのだろう。
バスの中の人達は、当たり前だけれど、表情一つ変えなかった。
バスはそのままPraia do São Conrado(サォン・コンハード海岸沿いの高級住宅街。Rocinhaの真向かい)沿いに
走った。
左は水平線、右は岩(丘の斜面)まるで爺ちゃん婆ちゃんのいる岩手に帰ってきたみたいだった。
そしてまたトンネルに入った。抜けると、目の前に湖が広がった。浮島があってそこには家が立っている。
2人のおじさんが湖の中を歩いている。遠くでは網で漁をしている人がいる。
Barra da Tijucaに着いたのだ。

(Barraにある不思議な湖)
これが同じリオ市だとは思えない。他の乗客がみんな降りたので自分も空き地のような所にあるバス停で降りた。
降りた人達は、そのバス停でまた別のバスを待ち始めた。最後まで静かなバスだった。
いすに座ってこっそりと地図を見ていると、その近くのファベーラの住人っぽい少年(12歳くらい)が
遠くから2人歩いて来た。12歳の目つきではなかった。近づいてきたので、自分は立ち上がって、歩道橋に登った。
後ろで少年の一人が"Caramba.~~~~!と言っていた。
この地区のことは何も知らないので、地図を頼りに海がある南へ歩いてみた。
途中には高級住宅街がある。どの家も金持ちの住んでいそうな感じだった。
ある家からはギターを鳴らしながら歌う声が聞こえてきた。外には庭で娘と遊ぶ父親、犬の散歩をする上品な
おばあさん、などだ。
ファベーラとここではまるで世界が違う。
海に着くとquiosque(街角やビーチにある売店。キヨスク)は殆ど閉まっていて、海岸で遊ぶ人も殆ど
いなかった。
店員の態度が最高に悪いquiosqueでビールを買って、じろじろ見られながらも、そこでバスでの出来事を
メモにまとめた。海沿いを歩いていると、一人の少年が波打ち際で立ち止まって何かをコソコソとしていた。
少し近づいてみると、maconha(マコーニャ=まりふぁな)の匂いがした。あのコソコソ具合からして、
覚えたてだろう。変に巻き添えを食らいたくないので、距離を置いて歩いた。
5時半ぐらいに帰りのバスを探し始めた。海岸沿いには一向にバス停が見つからず、またバスも殆ど走っていない。
たまに来るバスも、行き先を見るとまったく知らない地名で、不気味だ。
あたりはもう暗い。それでもやっとバス停を見つけた。木の陰にバス停の看板が隠れていた。奇跡的に見つけた。
向かい側には中華レストランがあって、何故か日本料理もあると書いてあった。やめてほしい。
30分ほど待つと、遂に知っている名前のバスが来た。
"233 RODOVIÁRIA / BARRA DA TIJUCA(cicular)。 "
帰り: 午後6時、Praia da Barra da Tijucaのバス停で、 233番{RODOVI?RIA / BARRA DA TIJUCA (circular)}に乗車
Rodoviária(バスターミナル)に行くやつだから大丈夫だろうと思って乗っていたら、
このバスは何故か途中で山に登り始めた。かなりびっくりした。すぐ下るかと思うと、数十分昇り続けた。
「Rodoviáriaってひょっとしてもう一つあるの?このままこの真っ暗な山の中でおろされるの!?
....まぁ、死にゃぁしねぇか!tudo bem tudo bem.」
などと思っていると、バスの中に実は中国人らしき人が2人いることに気付く。変な安心感を抱いてしまった。
一人は50歳くらいのおばさんで、山の中で降りて行った。どういう暮らしをしているのだろう?
それにしても、なんでこんな暗い山の中でも普通のスーツを着ている人達が次々と乗ってくるんだろう?
会社でもあるのだろうか?レストランだろうか?バスはそのまま山の中を走り続けて、遂に人気(ひとけ)のあるところへ出た、Usina(リオ市北部の山に近い地区)だった。
北に上ってから東に行くのがこのバスのルートらしい。一気に気が楽になった。
最初の一ヶ月間自分が住んでいたTijucaのあたりで、もう一人の中国人らしき男の子が降りていった。
降りる前にその隣のブラジル人のおばさんと喋って、最後に"Obrigado"と言っていた。
事情は知らないけれど、Tijucaには中国人が劇的に増えたと言うことを聞いていたので、それは納得がいった。
バスはRodoviária(長距離バスターミナル)に着いた。そこでR$1.90の、やや高めのバスに乗った。
乗り換え: 午後7時半、Rodoviariaで、127番{RODOVI?RIA / COPACABANA(ida)}に乗車。
バスの中には、またまた中国人らしき人が2人いた。
一人は引受人のHenriqueさんそっくりの青年。もう一人は、杖を持った坊主頭の太ったおじいさん。
その人は自分のまん前に座っていた。もう一人はブラジル人のおばあさん。
このバスも凄く静かだった。Rodoviáriaを出発したあたりで、警察官2人が出口側のドアから乗ってきた。
少しして、バスを降りていった。やはり、治安を守っていることになっている警察官は、バスの料金も
払わなくて良いらしい。
休日・祝日のCentroは本当に人がいない。街もバスも静かで、変な感じだった。
帰りにカンデラリア教会をバスから見た。ここで沢山のストリートチルドレンが「天使の軍団」と証する
グループに射殺されたのだ。犯人の招待は結局警察官だった。
そのあと、家まで5分というところのGlória地区で同じT-シャツを着た人達が沢山歩いているのを見た。
ちょっとした渋滞になっていた。遠くでは第二次世界大戦記念碑があるところの特設ステージで、
女の人が歌っていた。
そういえば今日はキリスト教徒の祭日だ。この国では祭りや、デモ行進、などで渋滞が起こることが良く
あるようだ。
良くも悪くも、規制が甘いのだろう。
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