もう一人の自分(1)

  •   13, 2019 16:26
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自分には昔から持論があります。

それは日本人全員一人一芸

ここでいう芸は芸術のことです。
つまり、どの人も何らかの芸術を身に付けておくべきだということです。
芸術とは自己表現の手段。

それが絵画や音楽の場合もあれば、スポーツや格闘技でもありえるし、なんだったら仕事でもいいんです。
自分自身がそれに芸術性を見出していて、それに打ち込んでいる最中はもう一人の自分(本当の自分)を思いきり表現できている、それが重要なんです。

働く→食べる→寝る→働く→食べる→寝る のループじゃあなんだか勿体無いですよ。

どんなジャンルでも良いから、「わたしは/俺はアーティストだ!」っていえることが素敵なことだと思うんです。
なぜなら自己表現の方法を知っているといないとでは、世界の見え方が違うから。

アーティストというとなんだか縁遠い存在のような気がしてしまうのは普通なことだと思います。はい。
でも別にプロじゃなくたって、個展を開けるレベルじゃなくたって良いんですよ。
何も人に見せる前提じゃなくたって良い。
表現者であることが大切だと思います。

自己表現の方法は喋るだけではないんです。
むしろ言葉は表現の妨げになることさえあります。

漠然としているけどしかしすごい情報量を発信された、受信出来たなんてことがあります。
心でなにかを感じるというのはそういう類のメッセージを受信したときのことなんでしょうね。

さて、じゃあもう一人の自分(本当の自分)に出会うにはどうしたらよいか。
手っ取り早いのは習い事を始めることだと思います。

普段のルーティーンから抜けて非日常に飛び込む時間を自分の生活リズムの中に作るんです。
時間が有るか無いかではなく、作る!

「時間が無い」
「今月はお金が無いから、、、、」 か~ら~の~
   ↓
「~曜日の~時からなら何とかなる!」
「節約する!」 ですね。



何か具体的な目標があると、こういうのはただただ楽しいですよ。笑

ブラジルのスラム街で節約生活をしていた時の私がまさにそうでした。
スーパーで一度手に取った物を棚に戻すんですね。
その時にこう考えてます。

「う~ん。8レアル(240円くらい)か~。でもこれ我慢したらバス往復代が浮く。そしたら~市の~~師範の練習にいける。よしっ」

「う~ん。20レアル(600円くらい)か~。いやこれを棚に戻せば、、、、100レアルの道着を買うのに大きく一歩近づく!」

棚に品物を戻すときはいつも幸せな気持ちでした。笑
かるく微笑んでましたね。笑

なぜなら目標があったから。

自分でも知らないうちに表現の方法として選んでしまっていたカポエイラの道を深めたいからでした。

これは時々友達や生徒とも話すことですが、色んな物事は優先順位が割り当てられています。全てとは言いませんが。
多くのことは「出来る/出来ない」ではなくて「本当にやりたい/実際そうでもない」なんですね。

映画でときどきパラレルワールドという言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
今のこの次元と同時進行で平行して存在している世界のことですね。
あくまで映画での話ですが。

人が「違う自分」を想像している時って、たぶんパラレルワールドのもう一人の自分に思いを馳せている状態なんじゃないでしょうか。

それがパラレルワールドだけでの出来事である必要あるんでしょうかね?笑

多分ですよ。多分ですけど、インターネットで習い事の道場を調べて電車に乗ってそこまで行く方が、
パラレルワールド行くよりも簡単だと思います。笑

その際は「近いから」という理由だけで道場を決めないこと!
その先生だから習いたい、という気持ちを大切にして道場探しを是非してみてください。

roda ct2-min


Tchau(チャオ)
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