カポエイラと音楽(2)
- 26, 2019 23:36
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カポエイラと音楽は切っても切り離せないものです。
カポエイラを初めて見た時、その人の印象に一番残るものの一つがその音楽性だと思います。
カポエイラを習うまでに踏み切ったきっかけがその独特で美しい音楽だという人は少なくありません。
カポエイラ音楽を聞いたことが無い人には想像もつかないでしょう。
では「南国」とか「アフリカ」とか「トロピカル」というキーワードで漠然とイメージしてみてください。
はい。それです。今想像しているそれがカポエイラの音楽です。笑
陽気でしょう?笑
白い歯でしょう?笑
黒い肌でしょう? 笑
女の人の髪がソバージュでしょう? 笑
でもそれだけがカポエイラの音楽ではないんです。
今でも覚えています。
自分が一番最初に暗記した歌を。
一番最初に翻訳したのもその歌でした。
翻訳しながら私は泣いたんです。
さきほど、陽気なだけがカポエイラの音楽ではないと言いました。
私が最初に翻訳したその歌はまさにメロディが陽気なんです。
私はてっきりその歌詞も陽気だと思っていました。
私の中にあるブラジルの勝手なイメージ(サッカー!ペレ!サンバサーンバー!)をそのままその歌にも当てはめていました。
しかし実際の歌詞は、奴隷船の中で寒さと悲しみと悔しさの中で死んでいった黒人たちの思いについて語ったものでした。
”Navio Negreiro(ナヴィオ・ネグレイロ=奴隷船)”というその曲の内容は、ブラジルにつく前に母なるアフリカの恋しさのあまり死んだ者、寒さで死んだ者について歌っていました。
明るいメロディーで。
「何でこんなに悲しい内容をこんなにも陽気に、なんでもないかのように歌えるんだ。」
私はますますカポエイラの奥深さに魅了されると主に、ブラジル人のその精神性に興味を持つようになりました。
歌詞には何通りか種類があります。
さりげない日常を扱ったもの、
ただ韻を踏んだだけで歌詞の意味も作者の意図も(そもそも誰が作者なのかも)分からないもの、
農作業がテーマのもの、
漁師がテーマのもの、
人生の教訓を込めたもの、
カポエイラのjogoを人生になぞらえたもの、
黒人奴隷たちの恨みや悲しみを扱ったもの、
カポエイラの歴史的な人物を取り上げたもの、
ロマンチックなものなどなど他にも種類が沢山あります。
これはかなり上級者になってからですが、歌い手はその場にふさわしい歌詞とテンポの曲を選んで歌います。
はい。DJのようです。
聞く側はその歌詞に注意して聞き、歌い手のメッセージを理解します。
それがその場にいる誰かに注意を促すものであれば、時に挑戦状を叩きつけるものでもあります。
jogoしている最中の二人に向けられたものであることもしばしば。「こういうjogoをしろ。」というのを歌を通じて指示することもあります。
だから、jogoをしている二人は常に楽器と歌の内容とスピードに注意しています。
カポエイラにおいては歌はこれほどに重要なんです。
ポルトガル語が分かるようになると、そういった新しい見え方が出来るようになります。
そして、カポエイラの歌はどこか懐かしい感じがします。
私が思うにそれは日本人の民謡とどこか共通するものがあるからだと思います。
例えば、取り扱う内容の素朴さ。
農作業やら漁師やら、聞く者の脳裏に原風景が浮かんでくる点が、日本の民謡(沖縄を含む。)とカポエイラの歌が持つ共通点だと思います。
それともう一つの共通点。それはどちらも別に歌が上手くなくても良いということ。
歌は本来歌唱力のある人が歌うためのものではありません。
歌は「歌う心」を持った人が歌うものです。
7オクターブ出る人、1オクターブしか出ない人、酒焼けで声が潰れている人、きれいな声の人。どの人が歌っても良いんです。
個人的には二つ、生徒さんに課す条件があります。
①メロディーを理解すること
②歌詞の意味を知っていること
難しいそうですが、そうでもないです。
どちらも0から教えて覚えさせることが出来ます。
メロディーに関しては苦手意識と大雑把さ、それが原因だと思います。
これも根気良く付き合えば、生徒さんは面白いように歌が上手くなっていくんです。
私は人前で歌を歌うのが大の苦手でした。でも何故かカポエイラの歌を歌うときは恥ずかしくもなんともなかったです。
沖縄に住んでいた頃、よく泡瀬干潟で大声でベリンバウ(カポエイラの楽器)を弾きながら歌ったものです。
周りの人はビックリしてジロジロ見るどころか、近づいてすら来ませんでした。 笑
カポエイラは総合芸術です。
格闘技を英語でMartial Art、ポルトガル語でArte Marcial(アルチ・マルスィアウ)といいます。
ならば格闘技をする人はマーシャルアーティスト。そう、アーティストです。
カポエイラをやっているあなたは知ってか知らずかアーティストなんですね。
自分でこれを発見したときはうれしかったです。
アーティストになりましょ!
人は皆なんらかのアートを通して自己を表現するんです。
私の場合は18歳から今日までその方法がカポエイラです。
覚えた歌も沢山あります、これから覚えたい歌はもっともっとあります。
ちなみに、カポエイラをやると楽器も弾けるようになります。
しかも1種類だけじゃなくて色んな種類の弦楽器と打楽器。
あなたが最初に覚える歌は何ですか?
あなたが最初に手に取る楽器はどれですか?
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カポエイラを初めて見た時、その人の印象に一番残るものの一つがその音楽性だと思います。
カポエイラを習うまでに踏み切ったきっかけがその独特で美しい音楽だという人は少なくありません。
カポエイラ音楽を聞いたことが無い人には想像もつかないでしょう。
では「南国」とか「アフリカ」とか「トロピカル」というキーワードで漠然とイメージしてみてください。
はい。それです。今想像しているそれがカポエイラの音楽です。笑
陽気でしょう?笑
白い歯でしょう?笑
黒い肌でしょう? 笑
女の人の髪がソバージュでしょう? 笑
でもそれだけがカポエイラの音楽ではないんです。
今でも覚えています。
自分が一番最初に暗記した歌を。
一番最初に翻訳したのもその歌でした。
翻訳しながら私は泣いたんです。
さきほど、陽気なだけがカポエイラの音楽ではないと言いました。
私が最初に翻訳したその歌はまさにメロディが陽気なんです。
私はてっきりその歌詞も陽気だと思っていました。
私の中にあるブラジルの勝手なイメージ(サッカー!ペレ!サンバサーンバー!)をそのままその歌にも当てはめていました。
しかし実際の歌詞は、奴隷船の中で寒さと悲しみと悔しさの中で死んでいった黒人たちの思いについて語ったものでした。
”Navio Negreiro(ナヴィオ・ネグレイロ=奴隷船)”というその曲の内容は、ブラジルにつく前に母なるアフリカの恋しさのあまり死んだ者、寒さで死んだ者について歌っていました。
明るいメロディーで。
「何でこんなに悲しい内容をこんなにも陽気に、なんでもないかのように歌えるんだ。」
私はますますカポエイラの奥深さに魅了されると主に、ブラジル人のその精神性に興味を持つようになりました。
歌詞には何通りか種類があります。
さりげない日常を扱ったもの、
ただ韻を踏んだだけで歌詞の意味も作者の意図も(そもそも誰が作者なのかも)分からないもの、
農作業がテーマのもの、
漁師がテーマのもの、
人生の教訓を込めたもの、
カポエイラのjogoを人生になぞらえたもの、
黒人奴隷たちの恨みや悲しみを扱ったもの、
カポエイラの歴史的な人物を取り上げたもの、
ロマンチックなものなどなど他にも種類が沢山あります。
これはかなり上級者になってからですが、歌い手はその場にふさわしい歌詞とテンポの曲を選んで歌います。
はい。DJのようです。
聞く側はその歌詞に注意して聞き、歌い手のメッセージを理解します。
それがその場にいる誰かに注意を促すものであれば、時に挑戦状を叩きつけるものでもあります。
jogoしている最中の二人に向けられたものであることもしばしば。「こういうjogoをしろ。」というのを歌を通じて指示することもあります。
だから、jogoをしている二人は常に楽器と歌の内容とスピードに注意しています。
カポエイラにおいては歌はこれほどに重要なんです。
ポルトガル語が分かるようになると、そういった新しい見え方が出来るようになります。
そして、カポエイラの歌はどこか懐かしい感じがします。
私が思うにそれは日本人の民謡とどこか共通するものがあるからだと思います。
例えば、取り扱う内容の素朴さ。
農作業やら漁師やら、聞く者の脳裏に原風景が浮かんでくる点が、日本の民謡(沖縄を含む。)とカポエイラの歌が持つ共通点だと思います。
それともう一つの共通点。それはどちらも別に歌が上手くなくても良いということ。
歌は本来歌唱力のある人が歌うためのものではありません。
歌は「歌う心」を持った人が歌うものです。
7オクターブ出る人、1オクターブしか出ない人、酒焼けで声が潰れている人、きれいな声の人。どの人が歌っても良いんです。
個人的には二つ、生徒さんに課す条件があります。
①メロディーを理解すること
②歌詞の意味を知っていること
難しいそうですが、そうでもないです。
どちらも0から教えて覚えさせることが出来ます。
メロディーに関しては苦手意識と大雑把さ、それが原因だと思います。
これも根気良く付き合えば、生徒さんは面白いように歌が上手くなっていくんです。
私は人前で歌を歌うのが大の苦手でした。でも何故かカポエイラの歌を歌うときは恥ずかしくもなんともなかったです。
沖縄に住んでいた頃、よく泡瀬干潟で大声でベリンバウ(カポエイラの楽器)を弾きながら歌ったものです。
周りの人はビックリしてジロジロ見るどころか、近づいてすら来ませんでした。 笑
カポエイラは総合芸術です。
格闘技を英語でMartial Art、ポルトガル語でArte Marcial(アルチ・マルスィアウ)といいます。
ならば格闘技をする人はマーシャルアーティスト。そう、アーティストです。
カポエイラをやっているあなたは知ってか知らずかアーティストなんですね。
自分でこれを発見したときはうれしかったです。
アーティストになりましょ!
人は皆なんらかのアートを通して自己を表現するんです。
私の場合は18歳から今日までその方法がカポエイラです。
覚えた歌も沢山あります、これから覚えたい歌はもっともっとあります。
ちなみに、カポエイラをやると楽器も弾けるようになります。
しかも1種類だけじゃなくて色んな種類の弦楽器と打楽器。
あなたが最初に覚える歌は何ですか?
あなたが最初に手に取る楽器はどれですか?
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