ブラジル日記第一弾◆レポート 「旅に出よう」 ~その4

  •   31, 2005 14:05
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10月 B1レポート
25期 鈴木湖太郎
   「旅に出よう」


◆10月31日(月)
○今日の予定‐朝食→鉱物博物館→Capela das Dores→Igreja de Pilar→Belo Horizonteへ戻って→Gruta do Rei do Mato→Belo Horizonte→Rio de Janeiro

朝食をとっていた時、シトシト雨だったのが急に豪雨に変身。
予定がここら辺から崩れ始めた。
宿のおばさんに「これからどこに行くの?」と言われ、「Gruta do Rei do Mato」と言うと、「この雨じゃ無理よ。やめておきなさい。」と言われ、鍾乳洞は断念。

宿を出て、鉱物博物館に行くが休館。石鹸石の市場へ行って気になっていたものを買った。店のお兄ちゃんが言うに、月曜日はいつも人が少ないらしい。火曜日からは学生たちで賑わうそうだ。ここには大学があるそうな。

そういえば鉱物博物館も、オーロ・プレット大学の一部なのだ。
市場を出てその足で郵便局へ行って日本の家族に手紙を出した。
そして、憧れのCapela das Doresへ向けて傾斜40度の坂道をでっかい荷物を背中に傘を差しながら頂上まで登った。

かなり高い所まで登ったが、着いた教会は別の教会。「あれっ?」しかも閉まってる。せっかくなので写真を撮った。陸の頂上からは全てが見渡せた。
登った甲斐はあった。ただ雨の日の石畳の急な下り坂は恐怖だ。
数センチづつしか前に進めない。それ以上大股にするとすっ転げる。
一度転んだ。

後で知ったが、その教会はシコ・ヘイが黒人でも教会でお祈りが出来るように作った黒人の教会らしい。地図に載っているferroviariaとmorro da forcaに行ってみたかったけれど、先ほど登った丘よりも遠く高い所にあると言うことで断念した。それにしてもなぜ”morro do forca(首吊りの丘)”なのだろう。自分はこういうところに物凄く興味をそそられる。

なんとかして、あこがれのCapela das Doresに到着。
勿論閉まっている。それでも来た甲斐があった。本当に綺麗な色をした教会だ。
IgrejaまでいかなくてCapela止まりであるところがまた良い。
しばらくいたかったが、そこを後にしてセントロへ向かった。
途中で地元の住民しか通らないような道を歩いた。それでも何かしらの教会が見える。どこにいても教会が見えるのがこの街のすごい所だ。

その道で綺麗な半透明の石を拾った。そういえば小さい頃石を集めるのが大好きだった。うちに持って帰っては、母親に「どうするの~、それー。」と言われていた。今回も持って帰らせていただきますが、なにか?

セントロに着く頃にはTシャツは汗でビショビショだった。
サウガード屋でシャツを替えて、Igreja de Pilarに行った。閉まっていた。でも外観はやはり立派なものだった。
今回行けなかったいくつかの名所は、次に行く時の楽しみとして取っておこう。

Ouro Pretoを去る前にもう一度ミナス料理が食べたかったので、近くにたまたま見つけた ”Sabor das Geraes(Geraisではない)” という店で食べた。
店内はおじいちゃんおばあちゃんの客が4人いて、楽しそうに話しをしていた。
料理は美味かった。無料のcafezinhoならどこの店にも置いてあるが、ここには無料のcachacaも置いてある。小さめのコップになみなみと注いでから一気に飲んだ。物凄く強かった。40度どころじゃぁない。
一気に喉が乾いたのはいうまでもない。店のおばさんにrodoviariaへの行き方を聞いて、来たバスに乗った。

料金はR$1。自分の座席の前にはなんと中国人だか日本人だか、アジア系の顔の女の人が座っていた。ツンッとしていた。途中の住宅街で降りて行ったけれど、どういう経緯でOuro Pretoに住んでいるんだろうか。
Ouro PretoのrodoviariaからBelo Horizonteへ。

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会社:Passaro Verde
出発:10月31日(月)、16:10、Rodoviaria de Ouro Preto
到着:同日、18:30、Rodoviaria de Belo Horizonte
料金:R$13.85
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このバスは、近郊の町Marianaから来ているバスで、乗るときに行き先を乗務員に告げて、車内で精算をするというものだ。なので近場の人はR$2払って降りて行ったりする。帰り道、大豪雨になった。と思うと雨は急に弱まり、草原のむこうに鉄鋼業か何かの大きな工場が見えた。ミナスという感じがした。

Belo Horizonteに着いて直ぐバスのチケットを取りに行った。Cometaのバスは22:30分発R$50で、Utilのバスは同じく22:30発だがなんとR$70もする。思わず口から”Brincadeira.(冗談だろ)”という言葉が出た。
最近感嘆詞が自然に出る。
、、、なので、Cometaのバスにすることにした。

 バスの時間まで暇をもてあましたので、その周辺を散歩した。
道でsacole売りの、これまたあのOuro PretoのRobertoと同じ感じのおじさんが

”1 por 1 real. Arigato! ” と声をかけてきた。

sacole一個で1realってなんだよ。高ぇよ。Austin(Baixadaにあるド田舎)だったら40centavoだよ。と思って通り過ぎて、歩道橋からベロの町の写真を撮っていると、そのおっさんが後からやってきて、

”1real.”と。

"Que eh isso. ta caro.(なんだよそれ、たっけーよ。)"

と返すと、
その直後に”R$0.25”と、本当の事を素直に言ってきた。
あれ?あのAustinよりも更に安い。この大都市で。あれ?
思わず一本買ってしまった。
50cent渡したのだけれど、一本でいいのにどうしても二本渡してくる。「(お釣りがない。)」と。「(お釣りいいよ)」と言うと、
「(ありがとう)」と。

 言葉もおぼつかない(決して酒臭くはないのに、酔っ払いの口調。Robertoもそうだった。)そのおじさんに、どこに住んでるのかを聞かれて、
リオだというと、MacaeやSaquaremaやRio das Ostrasの話をしてきた。

「えっ、おじさん行ったことあるの?あそこいいらしいねぇ。
うわさで聞いたことしかないよ。そのうち行きたいな~。
まだ、~~と~~しか行ったことないんだ。~~~」

などと、自分からひかずに普通の人と話すかのようにおじさんと話していた。
通行人は珍しそうに振り返っていたけれど、おじさんは嬉しかったらしく、
にっこりしていた。
変な事は言ってこなかったし、小銭もせびってこなかった。
おじさんの表情が一瞬まともな人の表情になった。
こうして道でアイスクリームを25centぽっちで売る羽目にならなかったとしたら、
もっと別の人生を歩んでいたとしたら、
普段からこういう表情で、息もくさくなくて、手も汚くなくて、横には奥さんとか
子供がいるんだろうな。

最後に

”Valeu, tio. Tenho que ir embora por Rio.(ありがとう。もうリオに帰るよ)”
と言うと、
酔っ払いのような口調ながらも、ニッコリして

”Obrigado. Vai com Deus, meu filho.(ありがとう。神と共に。my son。)”
と言った。
最後に頭を軽くポンポンっと撫でられた。やさしく叩く感じだったな。 


人に聞いてインターネット屋を見つけ、そこで30分時間を潰して、まだ時間があったので町のbarに行って、瓶ビールを飲んでいた。
路上に出たプラスチックのテーブルの上でSKOLを飲みながら、
今回の旅行の記録をノートに書いていた。

日本語が書かれるのを生で見るのが珍しいらしく、カウンターにいた客がちらちら見ていた。店員のおばさんもテーブルを拭きに来たり、ビールを注ぎに来たりしながらチラチラ見たがっていた。
しばらくそうしているとうなじに何か昆虫が落ちてきたのを感じた。
次の瞬間、少し噛まれた。立ち上がって手で払うと、、、なんと2cm強のゴキブリ。さすがに気持ち悪かった。

22:00になったのでターミナルでバスを待つことにした。
スニーカーからサンダルに履き替えた直後、遠くから日本人2人が歩いてくるではありませんか。
そう、外語大の留学生モモコ&タカシ。あっちもビックリしていた。
2人はMarianaにいたらしい。
そこで少し話してから、二人と握手をして自分はバス乗り場へ行った。

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会社:Cometa
出発:10月31日(月)、22:30、Rodoviaria de Belo Horizonte
到着:11月1日(火)、15:30、Rodoviaria Novo Rio
料金:R$50.00(エアコン無)
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このバスだ!Rioを出る日にターミナルで見たブリキのおもちゃ風のバス。
昔の田舎のバスのような銀色でアンティークなバスだ。
そうだ、これはCometaのバスだったのだ。乗る前に思わず写真を撮った。乗る人はインディオ系のおじさんや、白人の若者、白人のおばあさん、黒人の青年など、様々だ。自分の席は運転手の真後ろ。

このバスのシートはこれまた臙脂色の使い古されたシートでなかなか味があった。
エアコンはない。むしろ必要ない。山道では隙間風がビュウビュウと入ってきて少し肌寒いくらいだ。途中、霧が濃すぎて何も見えない箇所が沢山あった。ほんっとうに白すぎて何にも見えない。

その度にバスはスピードを下げるのだけれども、チョットやそっとの霧ではめったにスピードを下げない。そしてそこがカーブだろうと、対向車がいようと、追い抜きをする。つまり一瞬3車線になるのだ。
なんともスリル満点で、寝ている場合ではなかった。

途中で名前も分からない夜の街をいくつも通ったが、そのひとつに、ミニCorcovadoのようなモニュメントが丘の上にある街を見つけた。
Congonhasから20分ほど南下した所だ。紫色に照らされていた。
いったい何という町なんだろう。行ってみたい。

一眠りして目を開けると、そこはPavuna川(リオ郊外の川)。
Sao Joao de Meriti(リオ郊外。治安悪~い)に来ていた。
もうBaixadaだ。
左にはCidade Universitaria(大学の校舎だけでできている島)、
そしてCEDAEのCaju浄水施設(治安最悪)。
走っているのはLinha Vermelha(超危ない道路)。
道に沿ってfavela(ノーコメント)が沢山見える。

警察がライフルを持って突入する現場を前に目撃した家があった。
その家の裏を通り過ぎた。そうこうしている間にFesta Nordestina(Feira do Paraiba)を過ぎ、Rodoviaria Novo Rioに到着。
一週間前Sao Pauloから帰ってきた時と同じように、早朝でもここは妙な活気がある。

バス乗り場でbolo(カステラっぽいやつ)とcafezinhoの屋台を見つけた。
そこで朝食を済ませてバスに乗った。Cateteに着いた。夜明けのCateteは静かだ。

今回、旅行は心が洗われた。そして心が豊かになった。そして少したくましくなった。
旅というものはこうあるべきものなのだろう。
これまで、ブラジルに「住む」ということを意識しすぎて、
外国であるブラジルを一外国人として楽しむことを忘れていた。
今回の旅は、その感覚を取り戻せたという点で、大成功だったといえる。

他の州の人間からして見ればRJ州のRio de Janeiroといえばかなりの観光都市だ。
そんな面白い土地で研修をしながらカポエラをしながら、約一年間も生活が出来るなんてなんて凄いことなんだ。これからの時間がより一層大切に思える。


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写真:Capela das Dores

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写真:ミナス料理!

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写真:夜明けのCatete。Rua Silveira Martins(=自分の家がある通り)


※町の写真は撮りまくったけどここには貼り付けきれないので、以下を参考に!
http://br.images.search.yahoo.com/search/images?p=ouro+preto&sp=1&fr2=sp-top&y=Search&ei=UTF-8&fr=sfp&x=wrt&js=1&ni=21&ei=UTF-8&SpellState=n-927260179_q-42Awxt2.M1Q0bANVxHCsDAAAAA@@
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