ブラジル日記第一弾◆レポート 「ブラジルの教育」

  •   31, 2005 09:34
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8月 B1レポート
25期 鈴木湖太郎

「ブラジルの教育 ~スーパーマーケット~」

ここブラジルで五ヶ月も生活をしていると、ブラジルの良い面と悪い面を沢山目の当たりにする。そして知らず知らずそれに慣れてしまう。
自分の中で当たり前のようになってくる。

近所の行きつけのスーパーマーケット"RED ECONOMIA"、"MERCADEZ"、他数店を的にして、社内教育について考えてみた。
こちらのスーパーは基本的に社員の教育がなされていない。
レジのねぇちゃんは客を平気で待たせる。イライラを客にぶつけてくる
ときもある。店に商品を並べる係りの人間は、通路の真ん中でブラブラ
しながら他の人間と大声で世間話をしながら作業をする。後ろの客を
通せんぼしていることなどお構いなし。
肉コーナー、パンコーナーの人間などは更に酷い。基本的にイライラ
している。言葉遣いも悪い。

「呪われろ!」 "Toma no cu!"

と思うことが時々ある。
しかし、日本と違って、客側も接客の質を求めていないのだ。
商品を売る者と買う者、ただそれだけである。その構図が出来上がって
いる以上。店側も良い態度で接客をするメリットが無いのだろう。
店員と言うよりは、征服を着た個人である。
日本の場合、社員は勿論のこと、アルバイトも一度制服を着たら、個人を
殺して自分自身は会社の一部分にならなければならない。

「あなた個人の人格はここでは不要です。あなたは店の一部です。とにかくお客様には良く振舞いなさい。」

と教育されているのである。基本的にどの店でもそうではないだろうか。
ブラジルの場合、店員は「店の顔」としては行動していない。仕事の最中も彼らは、Renato, Maria, Rafael, M?rcia, Roberto, Ana,なのである。
RED ECONOMIA Catete支店の顔としては振舞っていないのだ。

ブラジルでは店員が客を待たせると言ったが、その原因の一つに「店員と客との世間話」がある。ブラジル人は話しが好きだ。人と触れ合うのが
好きだ。
店員と客の関係は日本では基本的に「他人」である。店の外で二者が偶然に遇っても、日本では挨拶をする場合としない場合があるが、しない方が
多いのではないか。
ブラジルの店員が客と話しをするのは、社内教育がなされていないからと言うよりは、彼らがブラジル人だからである。単純に一人の個人として
良くも悪くもそこにいるのだ。個人の持つ特性を殺さないのがこの国の
教育の仕方ではないのだろうか。

マーケットから離れて、例えば服屋の例で考えてみる。
ここリオで何回か服屋に行ったが、どの店でも接客の店員はまず、
客である僕の名前を聞いてくる。そして自身の名前を言う。
この時点ですでに個人としてそこに立っているのだ。
次に会ったときもこちらは相手の名前を呼び、店員もこちらの名前を呼んでくれる。

それが売り上げを伸ばすための「商売フレンドリー」であることは分かっているが、接客をしている最中は少なくとも彼の半分は店であって、もう半分は個人である。
スーパーでも服屋でも、あらゆる店で社内教育はなされているのかもしれない。しかし、それは個人という存在の上に上塗りされるものでは
ないのだ。

たとえ上塗りしようとしても、ブラジル人の持つ特性がそれを突き破って表に出てきてしまう以上、ブラジルの教育法と言うものもそれにあわせて形成されているのではないのだろうか。
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